お堀の桜と中央・総武線 2011.4.11
私は通勤で中央線に乗ると、このお堀沿いで四季折々の車窓を楽しんでいます。特に、ついこの間まで枯れ木のようだった桜が、みるみる咲き始め満開になる姿を見るのは、春到来を実感できて、心躍るものがあります。
車窓でもそんなに奇麗なのだから、逆に桜並木から電車を見たらまた奇麗だろうと思い、撮影に出かけたのは、奇しくも東日本大震災からちょうど一カ月後の2011年4月11日でした。当時はまだ東京も物資不足などで混乱していて、不安な毎日を過ごしていましたが、力強く咲いた桜と好きな鉄道を見て、しばし心安らぐ思いだったことを覚えています。
萩城址指月公園の桜
萩城は長州藩毛利氏の城です。慶長9年(1604)から毛利輝元によって築城が開始され、慶長13年(1608)に完成した城ですが、明治7年(1874)に取り壊され、残った石垣と水堀は国の史跡に指定されています。また唯一残った旧厚狭毛利家萩屋敷長屋は重要文化財に指定されています。萩の城下町は維新の志士達の生家や松陰神社など、幕末維新の史跡が多く残り、国の町並み保存地区や市の文化財指定を受けて有名ですが、この城址も建築はほとんどないとは言え、海にせり出すように聳える指月山(しづきやま)の景色と合わせて大変立派で、長州藩の力を今も示しているようです。
その本丸、二の丸等があった山麓の平城部分は、現在は指月公園(しづきこうえん)として整備されており、年間を通して観光客が多く訪れますが、特に桜の季節は山口県の日本海側の代表的お花見名所として賑わいます。歴史史跡でのお花見は、普通の公園では味わえないような風情が感じられます。
砧公園の桜
東京都の桜の名所は数多くありますが、広くて自然に恵まれてのびのびとお花見が楽しめる場所として、世田谷区にある都立砧公園はお勧めです。公園内には世田谷美術館もあり、自然と文化が味わえる公園とも言えましょう。
昨日5日に行ってみると、ちょうど満開で見事な景色でした。一昨日に行った千鳥ヶ淵公園では花吹雪が始まっていましたが、郊外の世田谷区付近は都市温暖化が幾分少ないためか、都心よりもやや遅めに咲き出し、ちょうど今が見ごろというわけです。昨日も家族連れや、カップル、グループなどで大にぎわいでしたが、何しろ広いので、花見名所にありがちな騒々しさもさほどひどくはなく、花をじっくり味わえるのが嬉しいです。特に朝方や午後3時以降は程よい人混みで、飲食で盛り上がるグループもあれば、芝生に寝っ転がりマッタリするカップルや、ボール遊びをする親子連れなどもいて良い雰囲気です。
もちろん、桜は見事なものです。古木で大きく、まるでふわふわの雲のように幻想的に一面に花を付けています。周囲の木々の新緑ともよく調和しています。
青空と雲をイメージした塗装が特色の世田谷清掃工場の煙突が見えるのが砧公園の特色です。
桜も大木ですが、周囲には武蔵野の雑木や松などたくさんの木々も生えていてその新緑も奇麗です。
思い思いにお花見を楽しんでいます。(近い人物については一部画像処理をしています。)
この砧公園は昭和15年(1940)に、当時の東京府が紀元2600年記念行事として造営を計画した6か所の緑地の一つでした。しかし、戦争の悪化に伴い、都市の環境や美しい景観を守るという本来の目的とは変わって、軍部の手によって防空緑地に転換されました。そして戦時中は軍事訓練場、食糧増産のための臨時農場としても使われ、終戦直前には防空壕も作られました。戦後は上野動物園の動物のえさを生産する農地になり、昭和30年から10年間は都立砧ゴルフ場として利用されました。やがて、もっと広く都民のためになるようにとの声が高まり、昭和41年には本来の緑地公園として広く都民に公開され、元のゴルフ場は砧ファミリーパークと呼ばれてこのような芝生と桜の公園になり、現在に至っています。
平和でのどかなこの公園も戦争の歴史、戦後復興の歴史などを秘めているのですね。そう思うと、桜をのんびり味わえる幸せを強く感じます。
千鳥ヶ淵の桜
今年の東京の桜は早く咲いて早く散り始めるような感じがします。昨日(4日)に千鳥ヶ淵に行ってみたところ、写真のようにまだ見ごろながらも、風が吹く度にはらはらと散り始めており、お濠には散った花びらがたくさん浮いていました。折から大気の状態が不安定になり、時折強い風が吹き、花を散らしていました。その後ニュースによると、夕方に一時雷雨があったようで、ますます散ったことでしょう。この週末が都心のお花見の最後のチャンスになりそうです。
多くの方が素晴らしい写真で紹介されている桜で、今更という気もしますが、私の眼で見た昨日の千鳥ヶ淵の一面として何枚かご紹介したいと思います。個人的には2年ぶりの訪問で、懐かしく堪能しました。都心の花見所として、私が一番好きな場所です。
秩父鉄道1000系お別れ貸切列車
去る3月23日を以って、秩父鉄道の1000系電車の運転が終了しました。1000系についてはこのブログの3月13日、3月24日にも取り上げて簡単な説明を書いていますが、元国鉄の101系電車で、戦後高度経済成長期を支えた通勤電車のパイオニアであり、その後も国鉄やJRの都市部通勤電車へ大きな影響を与えた車両です。それが、JRではすでに姿を消していたのが、埼玉県を走る一私鉄である秩父鉄道で現役で運転を続けていました。しかし、秩父鉄道でも50年を超える現役生活でさすがに老朽化が著しくなり、惜しまれつつ新型車に交代が進み、最後に残った1003号編成(かつての中央線を思わせる彩色の電車として人気があった)も3月23日の運転を最後に引退しました。
最後の運転のうち、3月21日~23日の3日間は事前に募集したお別れ運転ツアー客のみが乗車出来る貸切列車として運転されました。このツアー参加者は、特別に駅構内や車庫敷地内で撮影会にも参加できるという企画でした。
私は、最終日の1日前の3月22日にこの列車に乗車しました。秩父路に早春の訪れが感じられるような快晴で暖かい1日でした。熊谷から秩父へ行き、秩父駅構内で撮影会があり、帰りは広瀬川原車両基地にて、パレオエクスプレスで活躍しているSL、C58363と並んでの撮影会が行われ、熊谷まで送ってもらい貸切運転は終了しました。
以下、そのハイライトを写真でご覧下さい。
熊谷駅電留線にて入念に点検 ドア開閉試験