秩父鉄道1000系お別れ貸切列車

去る3月23日を以って、秩父鉄道の1000系電車の運転が終了しました。1000系についてはこのブログの3月13日、3月24日にも取り上げて簡単な説明を書いていますが、元国鉄の101系電車で、戦後高度経済成長期を支えた通勤電車のパイオニアであり、その後も国鉄やJRの都市部通勤電車へ大きな影響を与えた車両です。それが、JRではすでに姿を消していたのが、埼玉県を走る一私鉄である秩父鉄道で現役で運転を続けていました。しかし、秩父鉄道でも50年を超える現役生活でさすがに老朽化が著しくなり、惜しまれつつ新型車に交代が進み、最後に残った1003号編成(かつての中央線を思わせる彩色の電車として人気があった)も3月23日の運転を最後に引退しました。
最後の運転のうち、3月21日~23日の3日間は事前に募集したお別れ運転ツアー客のみが乗車出来る貸切列車として運転されました。このツアー参加者は、特別に駅構内や車庫敷地内で撮影会にも参加できるという企画でした。
私は、最終日の1日前の3月22日にこの列車に乗車しました。秩父路に早春の訪れが感じられるような快晴で暖かい1日でした。熊谷から秩父へ行き、秩父駅構内で撮影会があり、帰りは広瀬川車両基地にて、パレオエクスプレスで活躍しているSL、C58363と並んでの撮影会が行われ、熊谷まで送ってもらい貸切運転は終了しました。
以下、そのハイライトを写真でご覧下さい。
 
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熊谷駅電留線にて入念に点検 ドア開閉試験
 
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3両編成のうち、中間車は非冷房車 現代のサービスには合わないが、貴重な旧国電の面影を伝えている車両である。
 
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秩父駅構内にて特別撮影会 国鉄101系時代をイメージしてこの日は青梅線御嶽行きの方向幕(レプリカを方向幕窓に貼り付け)であった。運行番号窓も81Hの表示があり、貴重な歴史再現ショットとなった。なお、秩父鉄道で三峰口方向の先頭車のパンタグラフを2基に改造してある。この点は国鉄時代と違うが、2丁パンタを上げた姿は凛々しく人気があった。
 
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途中から「さようなら&ありがとう」のヘッドマークが取り付けられた。お別れ運転につきもののヘッドマークであるが、21日~23日の運転はあくまで貸切列車という位置付けで、撮影会以外ではヘッドマークは取り付けられなかった。御嶽も81Hもこの撮影会のみで、走行中は「臨時」としか表示されなかった。
 
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広瀬川車両基地にての撮影会 左からデキ107 C58363 デハ1003
 
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このデハ1003号は元国鉄クモハ100-133で昭和37年4月に製造されたもの。52年間ご苦労様でした!有り難う。さようなら・・・。